僕はいろんなことに興味があります。
当然ミニマリストにも興味があります。
でもミニマリストとはいろんなことに手を広げるのではなく、集中させなければいけないんですよね。
だから僕は本来ミニマリズムを語るには相応しくないのかもしれません。
でも、そういうのはもういいんです。
「なぜいいのか」、「そういうのとはなんなのか」は、この記事を見ればきっとわかると思います。
最近の興味は、プログラミング、ウェブ制作、DTM、ケトジェニック、ショートスリーパー、投資などなど。
減らした方がいいのかもなとも思っています。
減らした方がもっとずっと集中して取り組めるから。
ミニマリズムに出会ってからとくにそう思います。
ミニマリズムに出会った日
ミニマリズムに興味を持ったのは2019年の9月頃だったと思う。
その頃は何かをやろうと思っても、結局何もできずに毎日が過ぎてしまう。いつもなんだか空回りで、気持ちばかりが焦る日々でした。
そんな時って誰でもあると思うんですよね。
その時の僕は、「自分には何かが足りないんじゃないか?」って思って、睡眠をとったり、サプリメントを飲んだりしました。
そんな中何の気なしに見つけたのが、メンタリストDaiGoさんの「自分を操る 超集中力」という本。
Kindleで購入して、仕事中に聞いていました。
その中で、自分に一番刺さった集中法。
それが、「目の前のものを少なくすれば集中できる」というもの。
人は視界に入るものに気を取られるから、視界に入るものの数を減らせば集中できるらしいです。
DaiGoさんは、執筆活動のために机とノートとペンだけの部屋を用意しているとか。
「なるほど、とりあえず試してみよう」と思うと同時に、当時の僕の部屋は今以上にものが溢れていて、「これをどうやって減らすか」ということに問題が切り替わりました。
とりあえず、ものを減らすことについてネットで検索しました。
そうして調べている中でミニマリズムに出会ったのでした。
下の写真は4年前だけどだいたい当時の僕の部屋もこんな感じでした。

ものを捨てるという行為
ものをなくすことや、減らすことについて調べていると、ミニマリストYouTuberが数名見つかりました。
部屋は当然モノが少なく見えます。
彼らの動画を一週間ほど見続け、ミニマリスト とはどういった思想なのかの雰囲気をなんとなく理解。そして、またまたDaiGoさんの「人生を思い通りに操る 片づけの心理法則」を読み、実際にものを減らし始めました。
はじめは「ものを捨てる」ってなかなかできないんですよね。
捨てるときに、「いらないものから捨てていけばいい」のだけど、そもそも「自分にとって何がいるもので、何がいらないものかわからない」という謎な状況を味わいます。
捨てられないものは無視して、とりあえず失っても痛くも痒くもないものから捨てていきます。
100均で買ったものや、なんとなく買った本、なんとなく昔から持ってるもの。
持っている理由を考えて、持たなくてもいい理由を考えて、そして捨てる。
そうして繰り返しているうちになんとなく捨てるコツを掴んできます。
なんでも慣れるとできるもんだ。
そして、半月ほど捨てるとこうなります。

捨ててみてはじめてそこに執着があったことに気づきます。
それは、長い年月をかけて刷り込まれてきた「こうあるべき像」。
「本を読んでいる人は賢い」とか、「服を持っているとおしゃれ」とか、誰が言ったかも覚えていないようなことだけど、なんとなくみんなそう思っているみたいな価値観。
そうして、ちゃんとしていない自分と理想の自分とのギャップをモノで埋めていたことに気づきます。
モノを捨てるのは、「モノだけを捨てている」のではありません。モノと一緒に自分の思いを捨てているんです。
だから捨てるのに時間がかかるモノもあるんですよね。
そんな時は捨てるのを保留してみる。そして数ヶ月後、結局使ってないものを見ると「今の自分には持て余す」「今は必要ない」と気づく。
そのものが捨てられないのではなくて、そのものに付随した思いを「捨てる」、「手放す」、「諦める」それが怖いんですよね。
現状の自分と理想の自分のギャップを埋めるモノがなくなったら、なんだか理想の自分に届かないような、成れないような気がしちゃうわけです。
だから捨てられない。
モノには思いが宿っているんです。
食事をミニマルにしてみる
僕は5年ほど前から炭水化物をなるべく食べないように気を使うようになりました。
振り返ってみると、炭水化物を抜くことは、僕にとってのミニマリズムの始まりだったのかもしれません。
日本には「主食」があります。
主食はご飯や、パンや、麺。
それらを食べないことは常識では違和感のあることだと思います。
「ダイエットしてるの?」って言われます。
なんの本で読んだか忘れたけど、世界的に見て主食がある文化はレアらしいんですよね。
だから本当はきっとなんでもないことなんです。
あれから僕は「食事の面でもミニマリスト のようなことをしていたんだな」と最近気づきました。
- 糖質を抜いてみる。
- 朝食を抜いてみる。
- 1日1食にしてみる。
- 断食をしてみる。
僕は子供の頃から、「朝ごはんはちゃんと食べないと頭が働かないよ」、「1日3食規則正しくしっかり食べよう」、そんなふうに言われてきた記憶があります。
食事は大切だと思います。
でも食事を少なくすることで気づくこともあります。
どう考えてもみんな食べ過ぎ。
1日3食食べなくても大丈夫だし、朝食抜いた方がむしろ調子がいいと気づく。
僕たちは常識という見えない檻に囲われて大人になる
僕は僕が生まれたとき以降にあった情報で作られています。
当然それまでに積み上げられて一般化された常識もその情報に含まれています。
だから、僕にとってはそれらの情報の外側に行ったら何があるのかは、実際に踏み込んでみないとわからないんですよね。
常識から外れることはなんとなくいけないことのような、そんな社会的な雰囲気の中で僕は生きてきました。
そんな常識をなんとなく、「正しいこと」や「いいこと」だと思いながら僕は生きてきました。
疑う瞬間があっても、その疑う自分を見ないふりして過ごすことを、あまりに長くしすぎたんだと思います。
常識や一般的な価値観に合うような人間になろうと自分を曲げたことによって、僕は多くの時間的、金銭的、精神的コストを支払いました。
今振り返れば、足らない自分に不安を感じていたんだと思います。
でも、ミニマリズムを通して、ものを捨てることを通して、常識の檻の外に出ることを通して、「無くてもいい」と以前より感じることができるようになったと思います。
ミニマリズムとは自分に「大丈夫だよ」という感覚を実感させること
現代はモノと情報に溢れ過ぎています。
欲しいモノはお金を出せばだいたい手に入るし、欲しい情報もネットでだいたい手に入る。
世の中の多くは、「もっとないといけない」という感覚にさせるようにアプローチしてきます。
つまりそれは不安を煽るということ。
僕は不安に煽られていたんだと思います。
でもミニマリズムを経験すると、「その不安が幻想である」と自分の体と心で確かめることができる。体感覚として、実感として不安を取り除くことができます。
そして、ミニマリストはいつか卒業するものらしいです。
ものを捨て始めてしばらくしたころ、それがなぜなのかなんとなく理解しました。
自分に「大丈夫だよ」と、「もう不安はないよ」と感じさせることができるからなんだと思います。
「もう無くても大丈夫」
そう感じて最終的に「もう捨てなくても大丈夫」と「捨てないといけないと感じる執着」まで捨てることができたら、そのときミニマリスト生活は終わるんだと思います。
ちなみに僕はまだ先になりそうです。
おわりに、きっとこれから多くの人がミニマリストになっていく
僕は、この数年でもっと多くの人がミニマリストになっていくと思っています。
理由は、溢れ過ぎたモノと情報との付き合い方に対して、多くの人が疑問を持ち始めているからです。
それは最近売れている本や、出版されている本がどんなものか見るとわかります。
時間に関する本が目立ってきています。
多くの人が時間を欲しがっているわけです。
現状、なぜ自分に時間がないのかを理解している人は、まだ少ないと思います。
どうやって時間を生み出せばいいのだろうかと考えたときに、きっと自分の時間がないのは、別のことに時間を取られているからだと思い至るでしょう。
人によって「時間を奪われていると感じるところ」がなんなのかは当然違います。
ただ、「自分が時間をかけるべきなのはなんなのか」という発想には行き着くでしょう。
そうなった時行われるのは取捨選択です。
捨てるわけですね。
捨てる対象が何であれ、手元にあるものを捨てる行為は、本人が無自覚だとしてもミニマリズム的な活動になります。
ということは、「思っていたより無くても大丈夫」という感覚を味わう人が増えていくわけですね。
すると、それまでの常識的価値観に疑問を持つ人も増えるのではないかなと思うのです。
デジタルデバイスの大きな進歩と、シェアリングエコノミーが拡大しつつある今、ミニマリズムも拡大の土壌が整っています。
どうです?
なんか増えそうですよね。
さて、僕も最近買ってばかりでモノが多くなってきたので、また少しずつ捨てていこうと思います。